2013年2月19日火曜日

クリスマスローズのダブルは「退化」でしょうか。

今日は珍しくまじめな話をしようと思います。それというのも、知り合いがクリスマスローズの講習会で、ちょっと気になる話を聞いてきたと教えてくれたので。

その話とは、「クリスマスローズにとって、ダブルの花は退化したものだから、花にとっては本来良い物では無い」、「シングルこそが正常な状態なのだから、ダブルはいずれ無理が来て廃れる」、というような意味あいの事を聞いたそうです。

この話って本当なの? とその人から尋ねられたわけですが……おいおい、これってたぶんに情報操作なんでは無いか? と引っかかりを感じたので、ここで自分の考えをちょっと書いてみようと思った次第です。

「退化」という言葉はネガティブなイメージがあると思います。形態学などで使う退化の意味は、本来の働きを無くしてしまった器官を指して使う言葉であり、小さくなっていたり無くなったりしたものに対して使います。それはあくまで『進化の過程で』適応の一つとして起こった変化であって、ネガティブではなくポジティブな結果起こった事です。

つまり植物にとって退化の結果変化した器官は、進化の結果であるという事です。クリスマスローズでよく知られているのは、蜜腺(ネクタリー)が花弁が退化したものであるという話ですね。キンポウゲ科の植物は一般的に花弁が消失している物が多く、ミヤマハンショウヅルやテッセンみたいな例外を除くと、蜜腺という形で有る以外は花弁を持ちません。

蜜腺は文字通りに花蜜を分泌する器官で、甘い蜜を使ってポリネーターであるハナバチとかミツバチとかみんな来て~、と呼び寄せる為に使われると考えられています。 お陰で脱落したネクタリーって、ベタベタして取り除くの面倒ですよねw

ここまでで最初の講習会の話の矛盾点にお気づきでしょうか。ダブルは退化では無く、「先祖返り」であるという事です。言葉の揚げ足取りみたいになってしまいますが、退化した結果ネクタリーとなったのであって、本来の花弁の姿に戻っただけですから、先祖返りが正解です。まぁ、この先祖返りも私は納得してないのですが……それは後ほど。

と、ここまでだとただのイヤミな揚げ足取りなんですが、ここからが本題です。まずは被子植物の系統樹を見てもらいたいと思います。立派なものがこちらで公開されているので引用を控えますが、ここで注目してもらいたいのが、キンポウゲ目の位置です。キンポウゲ目にはキンポウゲ科以外にもメギ科やケシ科などが含まれますが、キンポウゲ科は他の双子葉植物とはこんなにも早い段階で系統が分かれています。

これが何を示しているかというと、被子植物の進化の過程においてキンポウゲ科は古いタイプの植物、進化があまり進んでいない植物であるという事を示しています。バラ科やキク科が思いっきり右端にあるのはそれだけ進化した植物であるという意味になります。

さて、ここで考えて頂きたい事は、進化している植物はみんな「萼」を持っているということ。大切な生殖器官である雄しべと雌しべを守る、萼というコートのような器官を進化の過程で獲得したという事実です。クリスマスローズの花びらは、萼片です。キンポウゲ科の植物は皆そうなのですが、萼片が花弁のように変化して花を形作っています。

植物にとって花弁は、花粉を運んでくれる昆虫たちなどポリネーターにアピールするための大事な器官です。紫外線を含む色で、パラボラ効果で暖かさで、花弁に溜めた香り成分でと様々にアピールします。 その大事な花弁を守るためにも、守るものを必要とした植物たちは萼を獲得しました。

クリスマスローズで考えてみると、花びらを守ってくれるものが無い、萼がその代役をしているというのは良い状態では有りません。寒さや枝葉で傷ついたり、害虫の食害にあったり、花びら一枚突破されるとそこにはもっと大切な雄しべと雌しべがあります。もし花弁が本来の花弁の形態であるなら、そこにもう一つガードを置く事が出来ます。

さらに花弁が花弁として機能すれば、萼片は本来の意味での萼として、花を守る器官として働く事も出来るはずです。つまり、キンポウゲ科の中だけで考えれば、ネクタリーが花弁に戻ってしまうのは先祖返りと表現されますが、植物全体として考えればそれは次の進化へのステップであって、決して「退化」などでは無い、という事になるはずです。

話がだんだん飛躍してきましたw 多くのキンポウゲ科が失ってしまっている、というか持っていない花弁をネクタリーという形で獲得しているのは、クリスマスローズの進化の結果なのだと思います。更にそれが花弁となったダブル咲きというのは、もっと進化した状態なのだと、私は考えています。

そもそもの話ですが、昔の分類学の考え方の影響で、「キンポウゲ科は花弁が退化している」と表現されている事がおかしな事なのです。キンポウゲ科の植物は花弁と萼片という両器官を同時に獲得できなかった植物というだけの話で、元々持っていた物が退化したわけでは無いのだと思います。

進化の袋小路に迷い込んでしまってるのかなぁ、とは思いますがだからと言ってネクタリーが花弁化するダブルが「良い物では無い」とか「無理が来て廃れる」というのは、一体どんな根拠があってそんな事を言うんだ、と憤りすら感じてしまいます。 「ダブルが退化」なんて、あえて退化という言葉の持つネガティブなイメージを使ったのだとすると問題です。

ようやく最初に戻って来れましたが、講師の方がどんな意味でその言葉を言ったのかは私には分かりません。その場に居なかった又聞きなので、細かいニュアンスとか正確な言葉も分かりませんが、受け取った側が「ダブルってあんまり良くない物なの?」みたいな気持を抱いたなら、これはもう印象操作というか、何か意図的にそんな発言をしたとしか考えられません。

専門的な知識を持った人たちにする講習なら、多少偏った表現を使ったり、断定的な意見を言っても問題無いと思います。受け取る側もきちんとした知識でフィルター出来ますから。でも、そうでは無い、クリスマスローズが好きで、お花を育てる事が好きで、植物の事はそんなに詳しくないよって言う、大多数の人たちがこの話を聞いたらどう感じるでしょうか。

人に何かを教える立場の人は、常に謙虚で誠実であって欲しいと思います。人間ですからそこに欲目が絡むのも仕方ないとは思いますが、園芸を本来の意味で楽しみ、普及させ、発展させる為にはそんなのは邪魔でしか有りません。今回知り合いから聞いた話は、色々と考えさせられるものでした。

だいぶ長くなってしまいましたが最後に。
自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じて、そうして考えた事を大切にして欲しいと思います。

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